宝珠院の歴史

宝珠院の歴史

歴史

昭和47年、静岡県に宗教法人の申請を認証され沼津市にて真言宗神道派を結成。

昭和54年11月、国の行政府から宗教法人の申請認可を受けて翌55年より大本堂建立始まる。

昭和56年新本堂敷地整地中に古墳が発見される。大本山敷地内に東原5号墳として現在も保存されています。

昭和58年3月28日、敷地1万平方メートル、その中央に高さ16メートル、延べ761平方メートルの大本堂が落成。屋根は総銅板、天空にそびえるは宝珠、本堂内部は144畳敷き、護摩壇は華麗にして荘厳、霊峰富士と駿河湾を望む場に落慶しました。

同時に本堂と廊下によって結ばれ直角に近い形で庫裡も建てられました。庫裡は管長の生活区であると同時に宗門子弟たちの修行の宿泊施設であり、遠来よりの信者の一夜の宿となるところでもあります。

東原5号墳

東原は古くから古墳の存在が知られていましたが、多くは開墾等によって墳丘が削土されるなど破壊され、その実態はあまり知られていませんでした。しかし、昭和47年に東原ニュータウン建設に伴ない、4基の古墳が確認され、その後、昭和56年7月に宝珠院大本堂建設の際、本古墳が発見され、過去に4基の古墳が発見されていることから東原5号墳と名づけられました。

墳丘は大半がすでに失われていましたが、検出された周溝径から推測すると規模は20メートル前後と思われます。主体部は横穴式石室で、玄室(古墳の内部主体の最奥の部分で遺骸を納める室)は全長6.6メートル、幅は奥壁で1メートル、中央で0.7メートル、開口部で0.8メートルであった。高さは1.1~1.2メートルで、床一面に小礫がしかれていました。

東原5号墳レプリカ

遺物は玄室内から武器類、装身具類、羨道(えんどう=横穴式石室で玄室の前に通じている部分)周辺から須恵器等が出土しています。特に奥壁から1メートルほどの範囲で鉄鏃(てつぞく=鉄製のやじり)が一面に検出しその数はおおよそ50点を数えました。

製造された年代は古墳時代後期(6世紀後半から7世紀前半)と推定され、被葬者はこの地方の豪族であったと考えられます。

昭和56年(1981年)沼津市教育委員会が発掘調査したものを、原寸の1/2縮尺で宝珠院敷地内に復元し永久保存としています。